いいエンジニア・すごいエンジニアリングのバリエーション(ブレスト中)

すごいエンジニアリングですね!
いいエンジニアいますねー!

照れます。ありがとうございます。
僕は褒めらるのが大好きなので、上記のような言葉が大好きです。

唐突ですが、先日若い(19歳)エンジニアに「いいエンジニアになりたいんです!」と言われました。
僕はその言葉に対し「おお!がんばれよ!」としか言えませんでした。何かモチベーションの足しになるような気の利いたことを言えればよかったのですが、全く思いつかなかったんです。
もちろん僕は僕の中のいいエンジニア像があります。ただし、それが彼が考えているいいエンジニア像とマッチしているとは限らない。
一方で大きな会社にいくつもあるエンジニアリングチームやその成果を観察していると、様々なタイプのすごいエンジニアがいることがわかります。
まさに、ひしめき合っています。すごさが。

「いいエンジニアリング」「すごいエンジニアリング」ってなんだろう。

その日から僕はこの疑問の虜になっていました。

そもそもエンジニアは、基本的に事業上・社会上に発生する様々な問題に対して「プロダクションで解決する」というアプローチを取る職種で(あろうかと思いま)す。
逆にいうと、ある問題に対して解決をプロダクションに期待するということは、エンジニアが持つ何かしらの「すごさ」に世の中が期待しているということに他なりません。
ということは、それこそがエンジニアが目指すべき すごさ ではないかと。
この角度に向き合えば、エンジニアは未来永劫「ちゃんと期待される職業」であり続けられる。
次19歳に聞かれた時には、こういう観点を持って相談に乗ってあげられるようになっておかなくては。笑

そんなことを考えましたので、身の回りにいる様々なすごいエンジニアを観察して実験的に整理してみてます。
以下、自分的2017年度版
「世の中がエンジニアに期待していること=エンジニアリングのすごさ」
です。
例ではシステムプロダクションにかかわるエンジニアリングの範囲で言葉を選んでいますが、ジャンルが変わっても本質的にはそう変わりないかと思います。

★Optimality(最適性)

最も歴史の長いエンジニアリングの凄さかと思います。
マリオブラザーズが24KBであったかのように、テトリスがJS7行で書けたかのように、この凄さはコンピューティングや人間をはじめとした、様々なリソース(資源)を最適に使おうという意志から生まれる魔法のようなアウトプットで『信じられない!』をもって世の中に伝えられます。
このタイプのすごいエンジニアがいるチームは狐につままれているかのようなシンプルなサーバ構成でサービスを展開したり、スマホ上であり得ないくらい滑らかで魅力的な演出を実現したり、サーバーコストで驚異的な効率を叩き出したりします。

★Strength(強さ)

強いシステムというものが世の中には存在します。
どんなに膨大なアクセスが来ようとも、ユニットアーキテクチャをどこまでも並列に分散させて難なく捌いたり、特定のアクセスパターンに対するパフォーマンス脆弱性を発生させないためのチューニングが生んだ尖った強さであったり、限られた時間の中で母数が多い計算リソース消費パターンに対して迅速に行うチューニングなど、システムが必要外で停止したり障害を起こしたりしないために必要な凄さです。
WEBサービスで例えるならば、WBS砲などで起こる「バズった」や、うるう秒問題で予測されるにわかには予期不能なコンピューティングリソース異常消費の可能性への備えなど、サービスがどんな状況下に投じられたとしても、変わらず可用性を保持できるかがこの凄さのポイントです。
技術力だけではなくて、困難を予測するセンスやデータ観察力が元になります。

★Promptness(迅速性)

要望に対し、いかに早く変化できるか。
ある時はビジネス戦略に寄り添ったアーキテクチャを敷いたり、またある時はひたすら広い懐を担保して未来の指針を待ったり、またある時にはとにかく最速で動かすことを目指す。
この活動を洗練させるために必要な設計思想の柔軟さと実現思考の習熟度は、物を作るプロフェッショナルの誰もが持つべき凄さです。
またこの凄さはアウトプットの正確性と親密な関係があります。正確性を欠いたアウトプットは役に立たず、再度作り直すことになるからです。
イメージ通りのものを、最速で生み出す環境へのこだわりが、この迅速性の元になっています。

★Amenity(快適性)

優れたUIやクイックな反応速度でユーザーに快適さを提供する。
これは、UIのスマートさによる表面的なものであるとか、様々なエンジニアリングの凄さが集結して出来る結果に過ぎないとか勘違いされがちですが、実はそうでは(それだけでは)ありません。
システムのウィークポイント(本来的なもの、現状の開発状況的にやむを得ないもの含め)を見定め、それを巧みにラッピングし「気持ちよさ」を打ち出せる箇所に適切なスポットライトを当てることで、人の気持ちを長所に向け、短所をなかったことにする、いわば、現状と常に戦い、利用者に提供するインターフェイスとの最後の辻褄を合わせる凄さです。
美味しいカレーと美味しいうどんをどう合わせたら美味しいカレーうどんが出来上がるのか考える凄さ、といえば伝わりが良いでしょうか。
かっこいいベーシストとかっこいいギタリストが組んでもかっこいいバンドが出来上がるとは限らない例を思い浮かべるのがいいでしょうか。
プロダクトの状況に対する透明性を担保し、現状の強みと弱みををよく把握して仕事に臨むような高いチームワークを誇るチームでよく見られます。
一人で実現する場合も、チームで実現する場合も、質の高いコミュニケーションが常にチーム内を循環している必要があります。

★Safety(安全性)

人は技術で形作られた新しいものに対して、常に一定以上の危険性を感じています。
その先に快適性やイノベーティブな体験が期待できたとしても、安全性の担保が感じられないとそこに身を投じる人の数は激減します。
世の万物を見渡しても完全に安全性を担保しているようなものが存在していないように、数百万行、数億行のシステムの完全な安全性を保ち続ける手法もまた発見すらされていませんが、世界中に無数に点在し、常に増え続ける敵と戦い続けています。
非常に象徴的で、掴みにくく、なんとなくしか世の中に伝えることができない安全性を、合理性を駆使して生み出していることそのものがこのすごさであると言えます。
我々が日々生み出している「技術的に新しい何か」を世の中が何の疑いもなく楽しむことができる状況を下支えしています。

★Toughness(耐性)

語られても尽くされることのない「継続的インテグレーション」は幾度の仕様変更にも耐え、長きにわたって変化を繰り返し続けることができる状態を目指すことを目的としたプログレッションフレームワークです。
そうしたシステムのタフさはここ数年どんな時にも求められがちな凄さです。
であるにもかかわらず最もコストの必要性が理解されにくい宿命を持っています。
これは、我々エンジニアがその部分を表出させることを怠ってきたからではありません。
輪島塗りの食器を見た時に、工房の整然さをも想像してその美しさを感じる人がどのくらいいるでしょう?
それと一緒か、それ以上に人に伝わりにくい部分なのです。
だから、我々はこの凄さを武器に市場価値を勝ち取ろうとすべきではありません。
その本質を我々エンジニア以外が理解する日は来ないからです。

★Fronteer Spirits(開拓性)

エンジニアは世界で最も『誰もやったことがないこと』に対して心惹かれる職業人種のひとつです。
そこに対する想いは、うやむやな新規性が発生させがちな『実現へ向けた妙な壁』を無力化し、いとも簡単に壁の向こう側にある世界まで到達してしまいます。
思想家ではなく、具現家の立場でその熱量を持つからこそ、この特徴を強く持つエンジニアは『すごい』と賞賛されます。
思想家は機械が動き回る世界の絵を描けますが、動き回った機械が何を始めるのかは、具現家が最もよく理解しています。
世界が最もわかりやすくエンジニアリングに期待している凄さの一つ解いても過言ではないでしょう。。

★Imagenation(想像力)

まだ誰も見たことがないあの壁の向こうには何があるでしょう?
エンジニアのフロンティアスピリッツを下支えする凄さがこのイマジネーションです。
具現家であるエンジニアはまだ見ぬ壁の向こうを誰よりも正確に想像することができます。
そして、であるからそこに向かって迷い無く走り出せるのです。
(僕は最近多くの文章にこの言葉を入れていますが)どんなに魅力的なアイデアが溢れかえろうとも、我々が一度に世に出せるのはたったひとつのプロダクトです。これを正確にイメージできる人がチームにいると、コミュニケーションがとてもスマートになります。
逆にこの機能がチームにないと、どんなに他の視点ですごいエンジニアがいても、いいものは出来上がりません。
そして、この凄さはしばしば出来上がる予定のプロダクトに対する想い入れと比例します。すごいメンバーを集め、誰も大した思い入れのない状態で開始されたプロジェクトが、ぐずぐずのアウトプットを生んでしまう図式では大抵ここの凄さが不足しています。

★Rationality(合理性)

誰にとっての、何にとっての合理性を求めるかによって生まれるアウトプットは変わります。
合理的な構成やインターフェースを持つシステムに、人間は何年もの間苦しめられてきました。その合理性が「機械にとってのもの」でしかなかった時代の話です。
機械にとっての合理性は、その種の合理性を追求する人間にしか価値を理解できず、そんな機会仕様なインターフェースを持つシステムは世界のあちこちで利用者に 今まで教えられたこともないような頭の使い方を人々に強要 しました。
これは、世界の問題解決のあり方までもかえようとしている強い思想であり、具現家であるエンジニアが使う魔法のような実現力の源はこれであると言っても過言ではありません。
しかし、機械的合理と人的合理は全く異なるものです。
これら融和を図るというのがこの合理性の真骨頂ですし、この融和でさえ合理性で解決しようとしているのが、エンジニアの凄さです。

——

長くなりました。できるだけシンプルにまとめたつもりではあるものの。
一口にエンジニアリングといっても、考えてみたら様々なすごさがありました。
こんなことを意識して日頃のエンジニアリングにあたっている人がどのくらいいるのかわかりませんが、キャリアの大小に関わらず、自分はどういったエンジニアになっていきたいかを考えたときに、切り口の参考にでもなれば幸いかと思っています。
近年はレジリエンスなどもエンジニアリングの中では注目対象な強さですが、市場からのスポットライトがあらたるのはもう少し先の話でしょう。

※タイトルにも書きましたが、これはブレスト中です。
きっと抜け漏れがあると思います。
もしもっといい分類を考えていたり、不足している観点を見つけた方は、是非教えてください。

※そういえば考察の副産物ですが、 具現家 って言葉が個人的に気に入ってしまいました。(誤字ではない)
近代のエンジニアたち、クリエイターたち、デザイナーたち、を始め、ものづくりに直接的に関わるみんなひっくるめたくくりに適切な名前を探していたんですが、 これだ! 感があります。(すぐ過ぎ去るかもしれませんが)

「システムによる効率化は本当にやって良いのか?」を「強いシステム・弱いシステム」の切り口で考える

ひと昔前、よくAI業界では「強いAI・弱いAI」の話がされました。

  • 強いAI = 人間そのものそエミュレートして、人間の代替となる存在を目指すような、文字通りの人工知能。
    • Wikipediaでは「コンピュータが強いAIと呼ばれるのは、人間の知能に迫るようになるか、人間の仕事をこなせるようになるか、幅広い知識と何らかの自意識を持つようになったときである。」とされる。
  • 弱いAI = 2017年では「問題解決や推論を自動もしくは半自動的に行うことに」特化させたようなもの。いわば知能の有用な一部のみをピックアップしてエミュレートしたようなもので、そのぶん構造がシンプルになり、処理性能が飛躍的に向上する傾向がある。近年の実験室的な成功例としては「がんの治療法解析をAiにやらせた例」があります。
    • Wikipediaでは「人間がその全認知能力を必要としない程度の問題解決推論を行うソフトウェアの実装や研究を指す。弱いAIに分類されるソフトウェアの例として、ディープ・ブルーのようなチェスプログラムがある。強いAIとは異なり、弱いAIが自意識を示したり、人間並みの幅広い認知能力を示すことはなく、最先端とされるものでも知能を感じさせることのない単なる特定問題解決器でしかない。」とされる。

これを、インターネット業界に並ぶシステムに当てはめて「強いシステム・弱いシステム」を定義してみます。

  • 強いシステム:人間に取って代わってその業務を完全に代替できるようなシステム。
    • ただし人間だらけの業務・体験フローの中に組み込まれるのが常なので「結果を人間が視認できるようなレポートアウトプットと、その業務が間違った働きをしている場合に指示するできる限りシンプルなインプットインターフェースを持つ」とするのが現実的でしょう。
    • 人間自体の業務が属人的なそれになりがちなのと同じように、このようなシステムはブラックボックスになりがちです。
  • 弱いシステム:人間が行うある業務の効率を飛躍的に向上させる、もしくは業務を構造化・正規化し、MECEな整理状態を提供するだけのシステム。
    • 人間の筆記速度を100倍にするメカトロニクスを発明した場合、ノートパソコンの倍以上の生産性をもたらすという研究結果があります。
    • このようなメカも今回の分類では弱いシステムに入ります。

これら強い・弱いの違いは
「そのシステムが人間の発想を超えた何かを自動的に生み出す可能性があるか?」
もしくは
「そのシステムは完全に業務を代替(人間の代わりにシステムがそれをやっている、と言い換えられるほどの状況)しているか?」
のいずれかを満たすどうか、です。

以下、この分類を切り口に現状世の中に転がっているシステムを考察してみます。

また、この記事の前提として「もう少し上手く表現できたんじゃないか」という気がしながら公開しています。
だから、公開しながら読み返して、表現や事例などを変えるかもしれません。
また、現時点では空論の遊び記事でしかないことも付け加えておきます。

世界に名だたる名システム(のように見えているシステム)のほとんどは「弱いシステム」です

例えば会員管理システム、自治体や大きめの企業で利用されるいわゆる業務システム、各種業務の管理画面やBI、案件管理システム(いわゆるトレーディングデスクTool)などは典型的な弱いシステムに分類されます。

  • 業務ツールがいくら自動でレポートを生成しようとも、
  • BIがどんなに自動的に分析指標の提案をしたとしても、
  • 案件管理システムがどれだけ整然と案件データを再利用性高く並べられたとしても、

これらはその業務の完全な代替を行いません。
そのアウトプットや業務のほぼ全てが「人間(オペレーター)の意志によって行われているから」です。
また、長年の運用の中で(もしくは不屈の精神によって繰り返されてきたリファクタリングの成果で)正規化を追求し、構造化を進めたシステムの多くは、歴史が長ければ長いほど(ヒューマンリーダブルでない、という意味で)複雑化していきます。

「その存在にすら気づかない=存在を意識させない=そもそもシステムとして認識されていない場合すらある」のが、強いシステムです

現在「インターネットの案内所」のように取り扱われている検索エンジンはかなり近い立ち位置にいるかもしれません。その役目が根本的なことすぎて掴みにくいかもしれませんが、例えば検索のアルゴリズムが変化したときに、我々は「そういうものか」と諦めるしかありません。我々は弱いシステムについてはそういう変化に対し徹底的に抗う習性を持っていますが、人間の代替と取れるような強いシステムに対しては、人間に対してと同じようにその挙動特性を許容することができます。

また、電話交換機や、ドメインマーケットなども「販売プラットフォーム」としてはオンライン上の強いシステムの一つに数えられます。
自動運転車が完成したら、それは強いシステムです。運転手という人間を完全代替しているからです。

海外だと状況が変わる?

インターネット広告業界に目を向けてみると海外ではAppLovinやCriteoなども、インターネット(に限らない部分も含め)広告配信業界の管理画面に対してかなり強いシステムに近いアプローチをしています。
Amazon Goや有機的に動物の動きを真似るメカトロニクスも強いシステムを目指した例であると言えるでしょう。
また、近日話題になったハンバーグをひっくり返すロボットアームも、類に漏れません。

こうした「強いシステムを作る試み」は、やはり海外に圧倒的に事例が多く、国内でも事例は散見されるほどはあるものの、ほとんどが「遊びとして扱われ、商業的に相手にされていない」というのが実情です。

さて、この辺りが今日の本題です。

弱いシステムは人間の仕事を決して奪わない。
そして人間を必要以上に強くする。
同時に人間の頭を開放し、暇(クリエイティブ)にする機能は持たない。

17年ほど、システムをはじめとした様々なものを作ってきてここにきて感じているのは上記のようなことです。

広告配信業務フローを例にとってみると、DSPやDMPなどが出てきたことによって、それを操るトレーダーの「広告配信を効率化するために取れる手法」の数は飛躍的に増えました。その結果、非常に高度なロジックを操って、より効果の高い配信を、より多くの案件に相対して提供できるようになりました。
また、ECサイトの例をとってみれば、EC CMSというシステムの台頭により、商人は「インターネットを通じて商品を売る」という手段を手に入れました。その結果、今まで対面販売や従来型の通販のみでは届かなかった顧客にまで商品の存在を知らせることができるようになりました。

しかしながら、そのシステムがあろうがなかろうが、相変わらず広告のトレーダーは広告を運用しています。商人は商品を売っています。このことについては何の変化もありません。

それだけでなく、今まで月に500万円の売り上げを上げていれば十分に評価されていたトレーダーは、弱いシステムがもたらした効率化によって月5,000万円を売り上げることができるようになり、その結果、当然のように今まで500万円を売り上げて得られていた評価は、5,000万円を売り上げないと得られなくなりました。
これは、その人の時間単位の生産性という名の責任が10倍に膨れ上がったということです。
同じように、商人がそのように効率的に売ることができるようになった結果、商人は価格にそれを反映させなければいけなくなり、1取引あたりの利益は落ちていきます。

そして人間一人が処理できる量が増えたことを契機として、事業は成長していきます。
結果人はできるようになった10倍の仕事をいつの間にかこなしています。

このことは「実のところ、弱いシステムが世の中にいくら台頭しても、人は決して楽にはならないし、そのシステムを利用して行う役目から頭を開放することはできない」ということを示唆しています。

特に日本にこの傾向が強いのは「日本人が優秀だから」なのかもしれません

欧米は、今も昔も「強いシステム」の生み出しに躍起です。
対して、日本ではやはりこの強いシステムは遊びと扱われ、夢と揶揄されます。要は、まともに取り扱ってくれるまでの道のりが長い。
これはなぜなのか。と考えると「人の優秀さ」というキーワードがまず最初に頭に浮かびます。

欧米人は、例えば日本人クリエイターがドイツに行ってワーカーの文化の違いに学びながらも疲弊して帰ってくるような事例が示すように、どうやら「人間とはそういう(不完全で信用できない)ものだ」と本気で思っているようで、人間に期待する範囲が小さい。だから弱いシステムによって人間を効率化するよりも、強いシステムによって「人間がやらなくて良い状況を作る」ということを割と真面目に考えているのではないかという仮説が立ちます。

対して日本人は、人そのものの業務フロー上のポテンシャルが高いために、同じく高い成果を求めた場合「人間を効率化したほうが早い」という考えに至りがちなのではないか、との仮説が思い浮かびます。なので日本人は「たいていのことは機械がやるよりも、人間がやったほうが正確で質が高い」とこれまたどうやら本気で思っているのです。

「それがいいのか悪いのか」という話ではなく、プロダクトのこれからの展開を見据える上で、僕ら具現家はどういう発想の元に立つべきなのか?という切り口をもっと柔軟にしようという話です。
なので、このことを一つの物差しとして持っておくことは、他の事象を考える上で大いに手助けになることがあります。
そんな例を次回あたりに考察してみます。

デザイナー出自のCTOが考えていたプロダクトのVI

VIという仕事はなかなかその内容について書くことはないもんですが、ひょんな機会をいただきました。ありがとうございます。
せっかく書いたので、こっちにも投稿しておこうと思います。
僕も単一プロダクトを持つ企業のCTOという立場をつい数日前に終えました。そういった記念も込めて。
ちなみに今回はいわゆる日本で言われるエンジニアリング分野の話は一切ありません。

FlipdeskのVIの話です。

Flipdeskは2年半前にスタートしたWEB接客プラットフォームで、リリース当初は「タグを埋め込むだけでサイト上にチャット機能を提供できます」というウリ文句の元、サービスがスタートしました。

現在はこのようなロゴを用いています。

これ、サービスが市場からある程度の知名度を得た後に、第二弾ロゴとして作成しました。
一方、初代のロゴはこちら。

だいぶ印象が変わってきますね。
時系列を踏まえて、初代ロゴの方からその由来を解説しましょう。

初代のコンセプトは「邪魔をしない」

当時すでにスマホのディスプレイはインターネット広告で溢れかえっており、広告はコンテンツを楽しむユーザーに邪魔者扱いされていました。
そしてFlipdeskが主戦市場としていたECサイトは一般ユーザーが何の気なしに訪れるWEBの中では数少ない広告非武装地域でした。(一部大手モールを除いて)
Flipdeskはコンテンツをポップアップさせたり、フローティングボタンとして表示したりという機能を持つので、テストマーケティングに付き合っていただけるクライアントを探していた段階でもしばしば「サイト内で広告を出すツールですか?」との勘違いを浴びました。
WEBで接客という概念がまだ世の中に浸透していなかった2014年では、フローティングボタンといえば広告でしょ、くらいの解釈をされることがザラだったんです。
そんな中でサービスの価値を業界に正しく理解されるにはFlipdeskは訪れたユーザーの邪魔をしないという認識を伝える必要があり、それをそのままビジュアルに落とし込みました。なのでとても線が細く、カラーも中庸な仕上がりになっています。
VIを通じて「リアル店舗の店員が全身全霊の気遣いで訪れたお客さんに喜びを与える存在であるように、Flipdeskも決してユーザーの邪魔はせず、ウェブ担当者の思いをスマートにお客さんに伝えるツールなんですよ」というメッセージを全面に押し出したのです。

また、同時に「店子であるかのように、ユーザーをちゃんと見てますよ」というメッセージも込めて、目入りの遊びを含めました。
当時はこのことに遊び以上の意味はなく、僕がビジュアルにほんの少しのポップさを加え、最後の辻褄を合わせる要素として入れたものでしたが、のちの幾つかの局面でアニメーションに使われるなどして馴染みやすさに一役買いました。
ビジュアルの最後の辻褄を合わせるエレメントはデザイナーのセンスやこだわりでしかありませんが、そうして加えたものには得てして作り手の思いが込められており、しばしばビジュアルの可能性を広げてくれる意外と重要な存在です。

またFlipdeskはロゴと事業コンセプトが同時並行で作られており(スタートアップでは珍しいことではありません)、当時された
「このロゴを見ていると、こんなコンセプトもありな気がする」
のようなやり取りに象徴されるように、ロゴのビジュアル・アイデンティティも事業コンセプトを決めるインスピレーションの一部でした。
ブレストの際にもまるで喋るかのようにロゴ案を次々と出すという感じです。
これは創業者にクリエイティブ担当がいるチームならではのアプローチで、言葉のやり取りだけでは思いつかない発想を引き出すこともあります。


当時ブレストに出ていたロゴの習作(一部)

そうしてビジュアルと事業コンセプトが双方の歩み寄りを見せて決定したのが、初代のロゴです。

カオスマップ掲載から着想した二代目「ひとりで戦えるロゴマーク」

サービスがある知名度を得ると、ロゴマークとともにサービスのイメージが独り歩きを始めます。
展示会用のチラシ、営業資料、代理店向け営業資料、サービスLP、連携先企業のWEB、取材記事、採用記事など、様々な場面、媒体で一般の方々の目に触れられる段階になると、見た人、説明を受けた人が、また隣人に解説を始めます。そうした過程で

  • カオスマップに掲載されているような状況では、やはり目につくサービスから解説を始められてしまう
  • 競合ロゴと並ぶと、刹那の直感勝負では強いロゴが勝つ(例えば代理店が接客ツールについて聞かれた際、いくつかのサービス資料を持っていて、2分しか時間がないとしたら?)
  • 解説中にサービスのディテールを忘れてしまっていた場合、ロゴや資料からディテールを補完して解説を続ける
    のようなケースが散見されはじめました。

前述のように線も弱く、中庸なつくりになっている初代ロゴは、そうした独り歩きの場面にめっぽう弱かったのです。
そこで現状表出されるシーンを考慮したロゴへの差し替えを決定しました。
様々な局面でプロダクトのイメージを統一的に、そして有機的に見せることができるような強く隙がないいロゴ、というのが、目標でした。

「統一的」のキーワードは、カオスマップにあっても営業資料にあっても、同じ佇まいでいられること。
ベースフォントを考える上でのキーポイントは

  • インターネットサービスであると一目でわかること
  • 営業状況を見るとネットリテラシーが高くない層にもアプローチしている。ここに対する目引きはビジュアル側からも支援が必要。
  • なので、サンセリフであることが必須条件(セリフはどうしても紙の権威の象徴となるイメージを与えてしまうため)
  • 版面率が高く、どっしりと構えて閲覧者をお迎えすること
    と設定し、歴史的な信頼感のあるTUBE – Johnston Underground(ロンドンの地下鉄)の公式フォントをベースに現代風に改良したものを採用しました。

「有機的」のキーワードは、一緒に仕事をしていたディレクターからの発案です。
「今後さまざまなノベルティ展開があったり、掲載メディアも多様になる。たとえばスマホで紹介されるような局面があった場合に、このロゴだと小さくなりすぎてしまう。我々はスマホをメインターゲットとしたサービスだというのに。」
こんな指摘をもらいました。
なので、縦長な表示であっても、ある程度どんな形のノベルティに使用するのであってもバリエーション展開の中でそのイメージをキープできるよう、マークを採用(マークの素案もディレクター発案)し、ロゴマークとロゴタイプの展開パターンを用意することで、さまざまな利用シーンに対応するようなVIセットに落とし込みました。

Flipdeskは何を成したのか。今後どうなっていくのか

僕らがFlipdeskを通じて解決したかった問題は
「全然カジュアルじゃないサイト内改善施策」
でした。

たとえばMDの限定されたECサイトが売上を上げようと考えたら、最も手っ取り早い方法が「セールを行うこと・クーポンを打つこと」、次点で「広告を打つこと」といった答えが返ってきます。「レイアウトやデザインを変更する」などのいわゆるサイト内の改善施策は、ある時はベンダーのシステムの制限であったり、またある時は社内のエンジニアリングリソース不足であったり、と、様々な障害が目の前にあり、サイトの周りにあるなかでも「最も手がつけにくく、金がかかる」という構図になっていました。
しかし、店舗を運営するにあたり、店舗という入れ物自体の改善に手を入れ難いというのは、非常に勿体無い話です。
なので、まず「目立たせるべきものを適切に目立たせる」ということに目的を絞って、ツール化してリリースしたのがFlipdeskです。
Flipdeskができることはシンプルですが、そのシンプルさを通じてまずはホットトピック(訪れたお客さんそれぞれにとっての旬な情報)=”旬” な情報の取り扱いに慣れて欲しかった。
どんなWEBサイトでも、運用状況がアクティブであれば必ずホットトピックが存在するのですが、現状ではWEB運用上の制約(できないこと)が多すぎて、その存在すら認識していないケースが多かった。そのお店の中でまず何をみて欲しいのかを誰もはっきりと認識していなかったということです。だから、店舗にまず来たお客さんに対する「いらっしゃいませ」を変更するのに、ものすごく冗長な手続きが要るんですね。そういう状況を変えたかった。
これが市場・業界に対するメッセージです。(もちろんそんな意図とは関係なくセンスの良い顧客によってさまざまな面白い使われ方が生み出されたりはするわけですが。笑)
店員さんが「いらっしゃいませ」の後に、今お店の中で一番耳寄りな情報を話し伝える、そんなイメージをそのままビジュアルに落とし込んだのが、Flipdeskのマークです。

そして、同時に僕らがこのサービス展開を通じて見ている未来は
「WEBってこんなものじゃない。もっといろんなことができる」
です。

なぜ5年前は誰もWEB上でチャットを使わなかったのでしょうか?(これは、FlipdeskをはじめとしたWEB接客ツールが解決しました)
なぜ今はWEB上で相手の顔を見て会話ができないのでしょうか?
どうしてWEBは僕の顔を見ただけで「あぁ、この人は男だな」と判断してくれないのでしょう?
いつまで僕らは検索ボックスに面倒なキーワードを打ち込んで質問しなければならないの?

こういった疑問や不満を解決できる技術をすでに世界の技術者は持っています。
そうした不満が解決された世界は、誰かがその気になればフッと世の中に現れてくるわけです。
そうすると、WEBは今では誰も体験したことがない楽しみ方ができるプラットフォームになります。
現在でもまだまだカタログ式自動販売機でしかないECサイトにもどんどん変化が訪れてくるはず。
マーケティングが変わるでしょう。
MDの考え方が変わるでしょう。
サイト運営スタッフの構成だって変わるでしょう。
そんな世界を顧客とともに睨んでいきたい。というのが、プロダクトを生み出した立場の本当の思いです。

僕とデザイン

ここまではプロダクトの話をしました。ここからは少しだけ僕とデザインそのものの話をしましょう。

VIの対価はよく「無料〜ラーメン一杯〜数百万円〜数千万円」と揶揄されます。
ビジュアルの価値の優劣はなかなかわかりにくく、時にクリエイターは水商売と同じだ、とも例えられます。

ビジュアルの価値は直感の精度であるとか、デザイン理論の積み重ねだとか思われがちですが、本当のところは想像力です。
どのような媒体に、どのように掲載され、どう、どのような人の目に触れ、どう使われ、どのような競争相手と並び、人はそれをどう思い返すのか、時勢は何を後押しし、なんの表現を本質と歪めているか、などの「それが在る状況」をできる限りくまなく想像できる力が、そのまま作品の深みになります。
そして、そこから生まれた抽象的な共通点を経験や知識、世の事例に当てはめてみたり、時には実験的な要素の効果を仮定して組み込んで新しい表現方法にチャレンジしてみたり、といった社会に寄り添わせるような行程を経て具体化し、初めてひとつのアウトプットになります。

僕は、ビジュアルデザインが商業的に必要とされているものである以上、その価値はアウトプットの安定感だと考えています。
それを支えるのが「深み」の存在であり、限られた時間でどこをどれだけ深掘りしていけるかというセンスは、世の中でしか養われません。
なので、デザインビジュアルを支える人やチームは、人生を通じて世の中を良く観察する必要があります。そして、世の中を見る角度を意図的に変えられる力を身につける必要があります。
時には子供の視点、異性の視点、時には半年後、3年後の未来を歩いている人の気持ちになって、世に送り出される作品を眺める視点が必要です。

デザイナーはそれがビジュアルやサウンドであっても、体験であっても、プロダクトエンジニアリングの一部であったとしても、まして、事業デザインの一角を担う場合でも、どんな時も抽象(概念)と具体(社会)を結びつけることがそのプロフェッショナビリティです。
そして、社会に出る具体的なアウトプットはどんなに広い抽象から導き出すにしても常にたったひとつしかないという宿命を持っています。

僕はその宿命と対峙する面白みは、人生を賭けるに値するほどのものだと思っています。
だから僕はCTOであり、アートディレクターであり、デザイナーであるというような人生を送っていますが、エンジニアリングをする時も、事業を構築する時も、街の開発コンセプトをひねり出す時も、常に僕の根底はデザイナーなんです。

逆にいうと、今デザインを担っている人は、自分がその後どんな職種や業界に抜擢されたとしても対峙できる根底の考え方を構築する必要があります。
どんな業界や職種とも相対する可能性があるのもまた、デザイナーだからです。

また機会があれば、どこか(別な媒体かもしれませんが)で「具体をまとめて流れを作る」ことを担うアートディレクションという概念を紹介しましょう。
この概念は、メディアとコンテンツ、人とSNSの関係性を解釈するのに、とても便利なものです。
日本や世界の情報発信産業が、この概念をどう捉え、導入して来たかを紐解くと、さまざま面白い答えが見つかります。

株式会社Socketは本日をもってSupership株式会社に合併します

先般からリリースにて告知させていただいている通り、僕と安藤、安達の3人で立ち上げた株式会社Socketは、2017年2月を持ってSupership株式会社に合併完了、その一部となります。

全てを整理し、吟味した結果に残る変化は前向きなことばかりであるというのに、理屈ではない泪が溢れ落ちるというのは、僕にまだ昭和の血が残っている証拠でしょうか。

このベンチャー不況が囁かれる日本市場において、実績ある事業会社からの溢れんばかりの信頼を受け、統合、合併に至った系譜は、僕らが信じて来た道を鑑みて余りある光栄でした。
それもひとえに信じて関わり続けてくれた圧倒的に優秀なメンバーの賜物だと言えます。みんな、本当にご苦労様でした。

また、統合がうまく合わなかった時のための心配性ならではの準備と覚悟も済ませ、これから一緒になる会社に一心に打ち込ませていただいた1年半でしたが、それらの覚悟や心配は全くの杞憂だったと言えます。
僕らが身を投じた環境は、信じて関わり始めてくれたメンバーの全員に対し『ここは安心して仕事に打ち込める』と言えるものであったからです。
集まっているメンバーの様々な背景に裏付けされた事業ポテンシャルは、ワクワクすら感じさせてくれるほどのものでした。

ですが、いま、これから未来を改めて切り拓いてくメンバーに送るメッセージは、数年前となんら変わりなく『今と未来を鑑みて、懸命に生きろ』です。
ハコが変わっても、世界が変わっても、僕は同じメッセージを発信し続けたいと思います。
そうやって生きてる人間のパワーこそが事業と世界を、そしてその人の人生をも良い方向に導くということを37年間の人生の中で嫌というほど学んで来たからです。

また、これまで僕らに期待し続けていただいたクライアントの皆様にも、改めて感謝を申し上げます。
今後新生Flipdeskとその周りを取り巻く環境により一層ご期待ください。

僕らはまた新しいスタートラインに立ちました。
前回と違うのは、味方の数がケタ違いに膨れ上がったことですが、そんな中でまた従来のメンバーも交えて新たな挑戦の門出を切れることを、心から嬉しく思います。

今後とも、Flipdeskを、新しいハコとなるSupershipをよろしくお願いいたします。

自分の人生を使ってものづくりのコツを表現してみる

Supership株式会社 Advent Calendar 2016 の24日目です。

グループのCTO達が企業にまつわる話をしていて、完全にほだされてテーマ変更しました。笑
あのテーマを話すにもこういった前提がいるでしょうから、今日はその話をしようと思います。

僕が初めて商品としての物作りに触れたのは小学校の頃でした

園芸屋を営む生家にて、自分の背丈ほどもある石附盆栽を作るというのが、僕に与えられた最初の仕事でした。

年に何回かトラック満載に積んで行商に出向き、縁日などで販売する雑多な植物の中で、それは目玉商品としてサラリーマンの年収ほどの価格で取引され、ある時は祝儀物として、ある時はご褒美として、果ては企業のエントランスに権威の象徴の意を汲む物としてオーナーへ引き渡す、そんな仕事でした。
中学高校時代は詳細がちょっと書きづらいですし、あんまり本編関係ないのでまたの機会に。
一言で言えば、金と友情とトキメキに塗れた青春だったように思います。

大学へはバンド活動がしたくて進学

僕はバンド活動をするために大学に入りました。
大学生という身分についての両親にとっての納得度が、僕がのびのびと音楽活動を展開するに足るものであったためです。

バンド活動からは、メンバーの乗っ込み度が作品に影響する度合い、良い曲とはなんなのかという自問自答、曲を作ってライブを行えばそれはバンド活動なのかというとそうではなく、ホームページ、ノベルティデザイン、物販の陳列やステージパフォーマンス、メッセージを伝える際の声色、風邪の引き方ひとつの影響すら無視できないくらい様々に複合的な要因が絡まり合ってバンドというキャラクターが成り立っている事など、37年間の人生でここでしか体験できなかった気付きが山ほどありました。

今思い返すとこれはひとつの事業体の例として僕の今の事業やものづくりに対する認識の一部を形作っています。

こうして卒業の前の日までライブに明け暮れていた結果、大学の卒業証書はもらった記憶もないまま今も実家に鎮座しています。

音楽を売るためのデザインに乗っ込み始めた大学卒業後

かくして大学を卒業した僕にはある目的がありました。
音楽活動を熱心にやるにつれ、だんだん我慢し難くなってきたのがそれを取り巻くデザインのクオリティで、まさに自己流の限界を迎えている状況でした。

『どうにか補完しなくてはならない。俺たちの音楽をもっと流行らせるには、作品に見合った化粧が必要だ』

そんな思いを胸にデザイン会社の門を叩いたのが、僕の一般的な社会人キャリアの第一歩目だったんです。
そうして入社したデザイン会社はいわゆるデザインに関する何でも屋でした。

グラフィックデザイン、エディトリアル、CI・VI、Web、雑誌、サイネージ、アニメーション、ナレーション、イベントの美術監督、国際取引のプレゼン資料、成人漫画の色ぬりから都市開発のコンセプトデザイン、製品パッケージやBGM作製、プロモーションビデオやパッケージMV DVDの作成、取材現場のディレクションや店舗内装のコンセプトや実装など、デザインに関わることだけでもかなり多岐にわたりますが、それだけではなく、丁度僕が入るタイミングで新設されたデジタルラインは、根本の『自然以外は全てデザインされている』というポリシーに従い、システム開発、自治体の基幹システムからルーターのカーネル調整、統合認証サーバー、予備校の映像基盤、他社内プログラミングフレームワークの構築、インフラ構築など、なんであろうが『我々が頼られたという事実には常に理由がある。その理由を無下にせざるを得ないのは、物理的な時間の折り合いが取れなかった時だけだ』という行動指針の元、ありとあらゆる仕事が舞い込んできていました。

僕の仕事はなんなのか?という禁断の問いをしてしまった話

そんな中でも全く知見がない分野の依頼があった場合はその旨を説明した上で、信頼に足るプロフェッショナルパートナーを探すところから始まります。
そんな新規分野すぎる案件が続いた頃に思い余って『なぜ分野経験もない我々に依頼しようというのか?』という質問をクライアントに投げかけてしまったことがありました。

そこで少し言葉を選んだかのように言われた『誰が手を動かそうが、君のフィルターを通っているということが重要だからだ』という言葉は、仕事人としての僕の役割を明確にしてくれた記念の言葉であり、今に至る僕のポリシーを形作っています。そして僕はこの役割のことをアート・ディレションと呼んでいます。

クリエイターでも、エンジニアでも、生み出す作業を行う人たちは少なからずアーティスティックです。
アート・ディレクターはそういった人たちが生み出す成果につじつまをもたらせる役目です。
自分が作業している時にでも、ディレクターがいない環境ではディレクション脳に切り替えるタイミングが必ず存在しています。(これはやっている人結構多いと思う)

その後も会社仕事と並行してバンド活動は続き、いわゆる2000年代初頭のインディーズバンドの一つとして年に1度は全国ツアーを行うなど、どっちが本業なのかわからないくらいでした。
ライブしてるか、リハしてるか、デザインしてるか、愛してるか、飲んでるか、寝てるか。

このループが5年ほど続きました。
他のことを考える事もその必要もなかったんです。それほどにこの生活に夢中でした。
そして当時は毎週のように何かを納品していたため、ツアー期間中はもう車中でファイナライズした成果物を各地の漫画喫茶から送信してました。

そしてそんな中、ひとつの事件が起きたんです。

社会がバカになった日

ここからは、あえて耳障りの悪い言葉を使います。
それ以外に当時のことを正確に表現する言葉が見当たらないからです。

ある全国ツアーから戻って、その足でクライアントとのミーティングに出かけた時のことでした。
ツアーファイナルの興奮も冷めやらぬ中で向かったその場は『ひどくつまらないもの』でした。
『こいつはなんでこんな夢のないことを言ってるんだ?』『それを作って何をしようというんだ?誰得?』ミーティングの間中、終わった後も含めてそんな思いがよぎる。
僕はそのクライアントのことをとても頭の切れる方だと信頼していましたが、一瞬でそれは崩れ去り『あいつはバカだ』と感じるようになったのです。(口にも態度にも出しませんが)

そしてその後も様々な人と打ち合わせるたびに、その殆どがバカに見えました。
つまり、世界がバカになったんです。

そして、真理として世界がそんなに急激にバカになるなんていうことはあり得ません。

となると答えはひとつ。
『世界は何一つ変わっちゃいない。自分がバカになったんだ』

これは、ミュージシャンによくある全能感の延長線上の要素もあったでしょう。物事の判断軸における自分の考えと相手の考えのバランスが狂い、自分の考えの占める割合が不自然に大きくなっていたのでした。

これに気付いた時は、さすがに自分を信じられなくなりました。
いや、もっと正確に言うと『自分はこう考えている』と言う心の声に対して、慎重になった、ということです。

なので、僕は今でもこの世で最もたやすく信じ込んではいけないものの一つに『自分自身』を数えています。
昨日見た映画や、その日の体調などによって、人の判断はいとも容易く変化してしまう。だから自分の考えに基づいて行動する際には、その前後の自分を注意深く観察する必要があるのです。

そしてもうひとつ、この件で自分は今作っているものに心から納得してはいないのだということにも気付きました。
普段非常に小さなバランスで感じていたものが、この時に顕在化したのです。
これも非常に大きな発見で、それから案件に対しての考察を深めるための工夫を意識するようになりました。
その話はそれだけで本が一冊かけてしまうくらいの分量なので、いつかの機会に。

7,000万円の案件

もうひとつ、人の考えを形にする仕事に夢中だった頃に、象徴的な案件がありました。
いつものように業務の基幹システムの現状把握〜制作・企画全般を依頼され、全体でおよそ7,000万円ほどの初期見積もり(大手競合見積もりだと1.3億円)を出し、クライアントとも合意が取れてさあGo!というタイミングに、その惨事は起こりました。
「すいません!案件の担当者が辞めちゃいまして、お手伝いできなくなっちゃいました!」
クライアントからの電話だったらまだ良かったでしょうに、これはいつも共に案件に携わっていたパートナー企業からの連絡でした。
「いやこれ流石に無理じゃねーかな。。。」
そう考え、クライアントに事情を説明しに行った時の話。
「事情はわかりました。では工期を伸ばしましょう。生内さんがやってください。」
予想外の答えでしたが、当時の行動指針が染み付いていた僕の答えは決まっていました。
「ただ、どうしてもあと8ヶ月で今のシステムが破綻する部分がある。ここはなんとかしてほしいです」
「わかりました。お受けしましょう」

これを皮切りに始まった7,000万円案件は、僕一人でスタートすることになりました。
そうしてスタートから8ヶ月目のマイルストーンを経て1年半ほど、様々な状況を鑑み、途中での人のアサインも何度も検討しながら、初期のヒアリングから業務設計、パートリリース計画、セキュリティポリシー策定、システムの実装そのもの、テスト設計・実施、UI設計実装、トレーニングメニュー作成から実際のトレーニング実施、初期バージョンの納品から業務に合わせた調整工程に至るまで、気付けばこの案件は最後まで僕一人で完結していました。(レビューは他社に依頼)

この期間は家にどのくらい帰ったんだったか全然覚えていないのですが、クライアントの心境や、完成イメージの変化、ブラッシュアップの工程を最初から最後まで見ることができたのは、とても大きな経験でした。

と同時に「一人の限界」というものを感じた案件でもありました。
この規模を超えると、自分一人では十分に制作者の意図やクライアントの思いを込めきれなくなる。
ここから、制作フローをチームワーキングへシフトし始めたんです。

当初予定だった「いいもの」についても触れましょう

そうして諸事情による独立起業を挟んだりしながら約12-3年ほどの人の依頼を噛み砕いてものを作る期間があり、その間に納品した成果物は「僕が関わりました!」と自信を持って言えるものだけでも1,000件を超えます。(700くらいまでは数えてたけどもうわからないのでおそらく、です)

その中で明確にわかったのは
「いいものづくりは訓練によって上手くなる」
ということです。

訓練とはなんでしょう。
発案 → 結実 → 評価
の場への関わりを繰り返すことです。

発案をいい評価が期待できる結実まで持っていくプロセスには間違いなくコツというものが存在します。
これも本格的に書き出すと本をかけるほどの分量になりますが、かいつまんでいうと
「ものづくりとは、無数にある発案をたった一つの結実に結びつけることだ」
と常に意識することです。

世の中が考えるいいものというのは無数にあります。世界の要望も尽きることがありません。
しかし僕らが制作に入ったならば、出来上がるものはたった一つです。このことに例外はありません。
そういう意識を持って場に対峙すると、様々な穴が見えてきます。

  • 結実が一つにならない
  • 求める評価を得られる結実に繋がりそうな案がない

またそうした考えの中では、プロセスには価値が結びつきません。
つまり、例えばエンジニアリングの分野で近年そろそろ飽きられつつあるほど流行した言葉に「継続的インテグレーション」がありますが、これ自体にはなんの価値も結びつきません。
と言うと方々からマサカリが飛んできそうですが、これは本当の話です。
価値が結びつくのは「継続的インテグレーションによって継続的に生み出された成果」です。
いくら継続的な改善活動が実現できていても、その改善活動の方向性自体が間違っていたりしていて、成果が無意味なものになってしまっていると、継続的インテグレーションは無意味なものになってしまうのです。
だからその方向性自体が疑わしい時点では、安易に継続的インテグレーションの体制を敷くべきではありません。

これはまだ当たるかどうかわからないような新規事業を起こす際の制作にもあてはまります。
継続的インテグレーションは「こういう方向性のプロダクトだったはず」という見えない制約を生み出します
これは理屈ではなく、心理的なもので、そうした制約を早く敷きすぎたが故に伸び悩んだプロダクト事例は、世界中に事欠きません。

以下、無期限で続く。(多分)

そして3回目の起業は自社事業開発!

今CTO&アートディレクターを務めているSocketは、僕としては3回目の起業です。
Socketでやりたかったのは、僕が魅力的だなぁと思う人間の可能性の試技です。
「こいつと商売を始めたら絶対うまくいく!」
という感覚、つまり自分の持つ人を見る目の精度はどんなものか、ということにチャレンジしたんです。

スムージー販売のような全くインターネットが関係ない事業でジューサーの静穏化にチャレンジしたり、事業化しようと目論みながら日の目を見ることなく謹製のタスク管理ツール化してしまったものなど、様々な事業試技を経て2年目あたりでFlipdeskという事業を生み出し、仲間を増やして今に至っています。

ほぼ4年間自社の事業だけに向き合って様々なトライを繰り返すというのは僕も初めての試みですが、概ね人を見る目の結果には満足しています。
事業開始からのスピードには眼を見張るものがありますし、何よりも、集まったメンバーのチームワークの良さがそのことを物語っています。

今はまた新しい事業プラットフォームでバランスの再構築を行なっているところですが、めまぐるしく変わる状況にたくましく対応してくれているメンバーを見ていると、人の可能性というのはいつも想像を超えてくるなぁと感じています。

システムはまさに今セカンドフェーズに向けた準備に追われています。
本格的に継続的インテグレーションの体制を敷くべき時がきた、といった風情です。
これ以上書くとFlipdeskの宣伝になっちゃいそうなんで、この辺で。笑

今後もFlipdeskを応援してください。

今回は僕の人生の切り取り方を工夫して、
テーマに合わせました

人生ってやつは多様性に富んでいて、ひと一人分の人生でさえ切り取り方によって、様々な物語を語ることができます。
今回の仮テーマになるべくそう部分を切り出して書いてますので、だいぶ話が飛んだりして非常に長く面倒な文章だったと思いますが、クリスマスの暇つぶしくらいにはなってくれてれば嬉しい限りです。

そして、何を当たり前のことを書いているのだと感じてくれたならば、是非ともに仕事をしましょう。笑

世界に転がっている情報など、話半分に見ておくくらいでちょうど良い

キュレーションメディアの台頭が世界をどう変えたのかというと「世界に転がっている情報など、話半分に見ておくくらいでちょうど良い」と、いう認識をより広く植えつけたことでしょう。

WEBだけに集約されがちですけども、WEB側での数年のトレンドの中で書籍業界も従前のプライドにこだわることなくこの波に十分に引っ張られましたし、もともと書籍もインプレッション(印象の方)勝負の分野では上記のように情報をエンターテインメントとして扱う感覚は定常であり、自己啓発本などは「気づき」という麻薬を得るためのコンテンツとして大変重宝がられてきたように思います。(正確性よりも、印象が大切)

何を持って正確とするかは非常に難しい問題ですが、それぞれの立場で情報精緻の極みを目指した存在が百科事典やWikipediaであるとするならば、そこはやはりドライブを目指すような事業として成立するようなものではないですし。

リーダーが抱えがちな「自分がやるのが一番上手くいく」という呪縛

「自分がやるのが一番上手くいく」
という呪縛を解かないとリーディングは上手くいきません。

  • 自分より上手くやれる人はどこに
  • 人に自分より上手くやってもらうにはどうすれば、

という視点がないと。

よく勘違いされるんだけど、この機能はマネジメントではありません。リーダーが考えるべきことなんです。
何故ならば、みんなその機能をリーダーに期待するからです。無意識に。

メンバーが無意識に期待するように、タイトルの意識はリーダー役の心のかなり深くまで入り込んでいることが多いので、丁寧に丁寧に気づき、ひとつひとつ取り除くことが大切です。

『ギッタギタにして思い知らせてやる!』ためにエンジニアやクリエイターはなにを思うか。

今朝、起きたら
『ギタギタにしてやる』
という言葉を思い出しました。(意味はない)

かの有名なジャイアン氏が数十年前当時から怒りを爆発させる時の合図として好んで用いていた言葉で、程よい脅威に満ち、鉄の意志を伝え、時に頼れる男の背中とともに描かれた、あの名言です。
参考: 画像

より意志の強さを含めたい場合は
『ギッタギタにしてやる』

最上級の高揚を以ってそれを発する時には
『ギッタンギッタンにしてやる』

僕自身はこの言葉をうまく操れる自身が全くないですが、
キャッチーな擬音も相まってまことに愛らしい言葉です。

一方で『ギタギタにしてやる』という言葉の用途はそれだけではなく、実際にギタギタにするという行為とセットでひとつの表現方法になっており、言葉だけでは伝えきれない意志の強さを表し、伝えるものとしても用いられます。
そうです。まさに『ギッタギタにして思い知らせてやる!』のくだりです。

そしてその事自体はエンジニアやデザイナーが実際に動くものや描いたものを片手に『事と言葉』でプレゼンテーションするのとなんら変わりません。

そうやって僕らは、まだ見ぬ未来を思い知らせるくらいの印象を残すプレゼンをしなければならないのであります。

参考: http://logic-jap-history.seesaa.net/article/426085864.html

プロダクトドリブンってなんだよ、という話

プロダクトドライブは、『事業を通じて自分たちは何をやっているのか』を時間消費目的の本質として捉え、そこから抽出できる課題(と呼ばずに、本当は未来への道筋と呼びたい)を経済活動に結びつける試みに他ならない。
言うなれば、視点配置テクニックのひとつでしかない。

言い換えれば、近年叫ばれるエンジニアリング主導の課題解決の価値(本質を捉える役目からの改善手法の価値、みたいにも言い換えられるのかも)もその一つだけど、長い目で見るとただの流行でしかなくて、そこにある商いのポテンシャルはそんなに長くは続くまい、と考えている。
価値は基本的に流行りものなので、次に交代する新しいものが来たら、現在のメインストリームは終りを告げる

資本主導の経済活動は、その上で踊る人間の欲求は、そんなに単純なものじゃない、というのは様々な価値の切り口が出ては消えるのを繰り返してきたことからもうかがえる。

例えばトヨタ式の改善活動フレームワークは世界的にもそういった本質という麻薬概念の価値を助長するのに十分な説得力を持っているが、もう少し時間軸を長く捉えると概念遊びの一環でしかないことに容易に気付く。
当然、社会のそういうモードが終りを告げることも、そんなに遠い未来のことじゃない。

エンジニアはそういうボーナスステージに生きているという自覚を強く持つべきだし、そこにボーナス感を見出さず、世間が評価する自分達の価値だけを妄信的に信じて、それに従事する各個人が大きな進化をやめてしまった職種の顛末は、例に事欠かない程度には溢れかえっている。
例えば、コンビニスタッフ、パイロット、CAに代表されるように。

エンジニアリングの本当の可能性はこれからだし、今後もある程度の期間はエンジニアリングが生み出す成果に社会は大きく左右される。
そんな社会の期待を一身に受けているエンジニアリングだから、今のエンジニアリングを最大限謳歌すべきだし、無責任に社会がその価値に対しての期待をやめてしまったときに、自分達になにが残るのか?もしくはそんな未来は訪れずに、まだ未踏の「普遍的な価値」を生み出すという役目をエンジニアリングは担うことができるのか?
全てはこれからのエンジニアリングの成果にかかってる。
そして、エンジニアの行いにかかってる。どれだけ真摯にエンジニアリングに取り組めるかどうか。自分も含めて。

エンジニアとエンジニアリングと「エンジニアやクリエイターは(特に納期に)いい加減だ」という話

日本のエンジニアやクリエイターは『エンジニアやクリエイターは(特に納期に)いい加減な人種だ』という評価に対して鈍感であることが著しく自らの市場評価を下げていることにもっと真摯に向き合うべきで、エンジニア至上主義みたいのはとっとと駆逐されて欲しいと思っています。
エンジニアを特別扱いしても、事業や組織に本質的なメリットは1つもありません。これは断言できる。

逆に、商売上至上すべきはプロダクトをちゃんと作れる人材で、それは言葉を変えるとエンジニアリング力に優れている人材ということなんだと思いますが、昨今あまりにもエンジニアリングとエンジニアという言葉が混同して使われる場面が多すぎるのでこのようなことを申し上げています。
どっちかというとプログラマーのことをエンジニアと呼ぶ不思議な風潮が日本にはあるのが真因で、言葉の複雑な旅路の中で『エンジニア至上主義が』いつしか『プログラマー至上主義』に成り代わっている感じで、そこが僕の悲観ポイントです。

また、プログラマーとエンジニアの間に本質的な共通点はほとんどありません。
エンジニアとは、プロダクトエンジニアリングへの貢献度の高い人材のことを指しますが、エンジニアリングに本当の意味で貢献することを意識できているプログラマーはほとんどいません。
そして、プロダクトとはプログラマーだけで完遂できるほど単純なものでもありません。

ディレクター、プログラマー、営業、コンサル、全てが相まって初めてまっとうなエンジニアリングが進み始めます。

この進み方やフォームには組織それぞれの型があります。そういうものを鑑みながらチームのポテンシャルのバランスを見るというのは、なかなか楽しい仕事です。

そして、そもそもなぜいい加減という評価が降るのか、という点にについて、原因の一つとしておそらくものづくりのプロセスがあまりちゃんと組織内で共有されていないから、じゃなかろうか。
という事をある企業の生産工程の改善サイクルの話を聞いて思いました。全てがそうだとは限らないけども。
そういったことの啓蒙も、エンジニアリングチームの仕事なのかもしれない、ですねー。