自分の人生を使ってものづくりのコツを表現してみる


Supership株式会社 Advent Calendar 2016 の24日目です。

グループのCTO達が企業にまつわる話をしていて、完全にほだされてテーマ変更しました。笑
あのテーマを話すにもこういった前提がいるでしょうから、今日はその話をしようと思います。

僕が初めて商品としての物作りに触れたのは小学校の頃でした

園芸屋を営む生家にて、自分の背丈ほどもある石附盆栽を作るというのが、僕に与えられた最初の仕事でした。

年に何回かトラック満載に積んで行商に出向き、縁日などで販売する雑多な植物の中で、それは目玉商品としてサラリーマンの年収ほどの価格で取引され、ある時は祝儀物として、ある時はご褒美として、果ては企業のエントランスに権威の象徴の意を汲む物としてオーナーへ引き渡す、そんな仕事でした。
中学高校時代は詳細がちょっと書きづらいですし、あんまり本編関係ないのでまたの機会に。
一言で言えば、金と友情とトキメキに塗れた青春だったように思います。

大学へはバンド活動がしたくて進学

僕はバンド活動をするために大学に入りました。
大学生という身分についての両親にとっての納得度が、僕がのびのびと音楽活動を展開するに足るものであったためです。

バンド活動からは、メンバーの乗っ込み度が作品に影響する度合い、良い曲とはなんなのかという自問自答、曲を作ってライブを行えばそれはバンド活動なのかというとそうではなく、ホームページ、ノベルティデザイン、物販の陳列やステージパフォーマンス、メッセージを伝える際の声色、風邪の引き方ひとつの影響すら無視できないくらい様々に複合的な要因が絡まり合ってバンドというキャラクターが成り立っている事など、37年間の人生でここでしか体験できなかった気付きが山ほどありました。

今思い返すとこれはひとつの事業体の例として僕の今の事業やものづくりに対する認識の一部を形作っています。

こうして卒業の前の日までライブに明け暮れていた結果、大学の卒業証書はもらった記憶もないまま今も実家に鎮座しています。

音楽を売るためのデザインに乗っ込み始めた大学卒業後

かくして大学を卒業した僕にはある目的がありました。
音楽活動を熱心にやるにつれ、だんだん我慢し難くなってきたのがそれを取り巻くデザインのクオリティで、まさに自己流の限界を迎えている状況でした。

『どうにか補完しなくてはならない。俺たちの音楽をもっと流行らせるには、作品に見合った化粧が必要だ』

そんな思いを胸にデザイン会社の門を叩いたのが、僕の一般的な社会人キャリアの第一歩目だったんです。
そうして入社したデザイン会社はいわゆるデザインに関する何でも屋でした。

グラフィックデザイン、エディトリアル、CI・VI、Web、雑誌、サイネージ、アニメーション、ナレーション、イベントの美術監督、国際取引のプレゼン資料、成人漫画の色ぬりから都市開発のコンセプトデザイン、製品パッケージやBGM作製、プロモーションビデオやパッケージMV DVDの作成、取材現場のディレクションや店舗内装のコンセプトや実装など、デザインに関わることだけでもかなり多岐にわたりますが、それだけではなく、丁度僕が入るタイミングで新設されたデジタルラインは、根本の『自然以外は全てデザインされている』というポリシーに従い、システム開発、自治体の基幹システムからルーターのカーネル調整、統合認証サーバー、予備校の映像基盤、他社内プログラミングフレームワークの構築、インフラ構築など、なんであろうが『我々が頼られたという事実には常に理由がある。その理由を無下にせざるを得ないのは、物理的な時間の折り合いが取れなかった時だけだ』という行動指針の元、ありとあらゆる仕事が舞い込んできていました。

僕の仕事はなんなのか?という禁断の問いをしてしまった話

そんな中でも全く知見がない分野の依頼があった場合はその旨を説明した上で、信頼に足るプロフェッショナルパートナーを探すところから始まります。
そんな新規分野すぎる案件が続いた頃に思い余って『なぜ分野経験もない我々に依頼しようというのか?』という質問をクライアントに投げかけてしまったことがありました。

そこで少し言葉を選んだかのように言われた『誰が手を動かそうが、君のフィルターを通っているということが重要だからだ』という言葉は、仕事人としての僕の役割を明確にしてくれた記念の言葉であり、今に至る僕のポリシーを形作っています。そして僕はこの役割のことをアート・ディレションと呼んでいます。

クリエイターでも、エンジニアでも、生み出す作業を行う人たちは少なからずアーティスティックです。
アート・ディレクターはそういった人たちが生み出す成果につじつまをもたらせる役目です。
自分が作業している時にでも、ディレクターがいない環境ではディレクション脳に切り替えるタイミングが必ず存在しています。(これはやっている人結構多いと思う)

その後も会社仕事と並行してバンド活動は続き、いわゆる2000年代初頭のインディーズバンドの一つとして年に1度は全国ツアーを行うなど、どっちが本業なのかわからないくらいでした。
ライブしてるか、リハしてるか、デザインしてるか、愛してるか、飲んでるか、寝てるか。

このループが5年ほど続きました。
他のことを考える事もその必要もなかったんです。それほどにこの生活に夢中でした。
そして当時は毎週のように何かを納品していたため、ツアー期間中はもう車中でファイナライズした成果物を各地の漫画喫茶から送信してました。

そしてそんな中、ひとつの事件が起きたんです。

社会がバカになった日

ここからは、あえて耳障りの悪い言葉を使います。
それ以外に当時のことを正確に表現する言葉が見当たらないからです。

ある全国ツアーから戻って、その足でクライアントとのミーティングに出かけた時のことでした。
ツアーファイナルの興奮も冷めやらぬ中で向かったその場は『ひどくつまらないもの』でした。
『こいつはなんでこんな夢のないことを言ってるんだ?』『それを作って何をしようというんだ?誰得?』ミーティングの間中、終わった後も含めてそんな思いがよぎる。
僕はそのクライアントのことをとても頭の切れる方だと信頼していましたが、一瞬でそれは崩れ去り『あいつはバカだ』と感じるようになったのです。(口にも態度にも出しませんが)

そしてその後も様々な人と打ち合わせるたびに、その殆どがバカに見えました。
つまり、世界がバカになったんです。

そして、真理として世界がそんなに急激にバカになるなんていうことはあり得ません。

となると答えはひとつ。
『世界は何一つ変わっちゃいない。自分がバカになったんだ』

これは、ミュージシャンによくある全能感の延長線上の要素もあったでしょう。物事の判断軸における自分の考えと相手の考えのバランスが狂い、自分の考えの占める割合が不自然に大きくなっていたのでした。

これに気付いた時は、さすがに自分を信じられなくなりました。
いや、もっと正確に言うと『自分はこう考えている』と言う心の声に対して、慎重になった、ということです。

なので、僕は今でもこの世で最もたやすく信じ込んではいけないものの一つに『自分自身』を数えています。
昨日見た映画や、その日の体調などによって、人の判断はいとも容易く変化してしまう。だから自分の考えに基づいて行動する際には、その前後の自分を注意深く観察する必要があるのです。

そしてもうひとつ、この件で自分は今作っているものに心から納得してはいないのだということにも気付きました。
普段非常に小さなバランスで感じていたものが、この時に顕在化したのです。
これも非常に大きな発見で、それから案件に対しての考察を深めるための工夫を意識するようになりました。
その話はそれだけで本が一冊かけてしまうくらいの分量なので、いつかの機会に。

7,000万円の案件

もうひとつ、人の考えを形にする仕事に夢中だった頃に、象徴的な案件がありました。
いつものように業務の基幹システムの現状把握〜制作・企画全般を依頼され、全体でおよそ7,000万円ほどの初期見積もり(大手競合見積もりだと1.3億円)を出し、クライアントとも合意が取れてさあGo!というタイミングに、その惨事は起こりました。
「すいません!案件の担当者が辞めちゃいまして、お手伝いできなくなっちゃいました!」
クライアントからの電話だったらまだ良かったでしょうに、これはいつも共に案件に携わっていたパートナー企業からの連絡でした。
「いやこれ流石に無理じゃねーかな。。。」
そう考え、クライアントに事情を説明しに行った時の話。
「事情はわかりました。では工期を伸ばしましょう。生内さんがやってください。」
予想外の答えでしたが、当時の行動指針が染み付いていた僕の答えは決まっていました。
「ただ、どうしてもあと8ヶ月で今のシステムが破綻する部分がある。ここはなんとかしてほしいです」
「わかりました。お受けしましょう」

これを皮切りに始まった7,000万円案件は、僕一人でスタートすることになりました。
そうしてスタートから8ヶ月目のマイルストーンを経て1年半ほど、様々な状況を鑑み、途中での人のアサインも何度も検討しながら、初期のヒアリングから業務設計、パートリリース計画、セキュリティポリシー策定、システムの実装そのもの、テスト設計・実施、UI設計実装、トレーニングメニュー作成から実際のトレーニング実施、初期バージョンの納品から業務に合わせた調整工程に至るまで、気付けばこの案件は最後まで僕一人で完結していました。(レビューは他社に依頼)

この期間は家にどのくらい帰ったんだったか全然覚えていないのですが、クライアントの心境や、完成イメージの変化、ブラッシュアップの工程を最初から最後まで見ることができたのは、とても大きな経験でした。

と同時に「一人の限界」というものを感じた案件でもありました。
この規模を超えると、自分一人では十分に制作者の意図やクライアントの思いを込めきれなくなる。
ここから、制作フローをチームワーキングへシフトし始めたんです。

当初予定だった「いいもの」についても触れましょう

そうして諸事情による独立起業を挟んだりしながら約12-3年ほどの人の依頼を噛み砕いてものを作る期間があり、その間に納品した成果物は「僕が関わりました!」と自信を持って言えるものだけでも1,000件を超えます。(700くらいまでは数えてたけどもうわからないのでおそらく、です)

その中で明確にわかったのは
「いいものづくりは訓練によって上手くなる」
ということです。

訓練とはなんでしょう。
発案 → 結実 → 評価
の場への関わりを繰り返すことです。

発案をいい評価が期待できる結実まで持っていくプロセスには間違いなくコツというものが存在します。
これも本格的に書き出すと本をかけるほどの分量になりますが、かいつまんでいうと
「ものづくりとは、無数にある発案をたった一つの結実に結びつけることだ」
と常に意識することです。

世の中が考えるいいものというのは無数にあります。世界の要望も尽きることがありません。
しかし僕らが制作に入ったならば、出来上がるものはたった一つです。このことに例外はありません。
そういう意識を持って場に対峙すると、様々な穴が見えてきます。

  • 結実が一つにならない
  • 求める評価を得られる結実に繋がりそうな案がない

またそうした考えの中では、プロセスには価値が結びつきません。
つまり、例えばエンジニアリングの分野で近年そろそろ飽きられつつあるほど流行した言葉に「継続的インテグレーション」がありますが、これ自体にはなんの価値も結びつきません。
と言うと方々からマサカリが飛んできそうですが、これは本当の話です。
価値が結びつくのは「継続的インテグレーションによって継続的に生み出された成果」です。
いくら継続的な改善活動が実現できていても、その改善活動の方向性自体が間違っていたりしていて、成果が無意味なものになってしまっていると、継続的インテグレーションは無意味なものになってしまうのです。
だからその方向性自体が疑わしい時点では、安易に継続的インテグレーションの体制を敷くべきではありません。

これはまだ当たるかどうかわからないような新規事業を起こす際の制作にもあてはまります。
継続的インテグレーションは「こういう方向性のプロダクトだったはず」という見えない制約を生み出します
これは理屈ではなく、心理的なもので、そうした制約を早く敷きすぎたが故に伸び悩んだプロダクト事例は、世界中に事欠きません。

以下、無期限で続く。(多分)

そして3回目の起業は自社事業開発!

今CTO&アートディレクターを務めているSocketは、僕としては3回目の起業です。
Socketでやりたかったのは、僕が魅力的だなぁと思う人間の可能性の試技です。
「こいつと商売を始めたら絶対うまくいく!」
という感覚、つまり自分の持つ人を見る目の精度はどんなものか、ということにチャレンジしたんです。

スムージー販売のような全くインターネットが関係ない事業でジューサーの静穏化にチャレンジしたり、事業化しようと目論みながら日の目を見ることなく謹製のタスク管理ツール化してしまったものなど、様々な事業試技を経て2年目あたりでFlipdeskという事業を生み出し、仲間を増やして今に至っています。

ほぼ4年間自社の事業だけに向き合って様々なトライを繰り返すというのは僕も初めての試みですが、概ね人を見る目の結果には満足しています。
事業開始からのスピードには眼を見張るものがありますし、何よりも、集まったメンバーのチームワークの良さがそのことを物語っています。

今はまた新しい事業プラットフォームでバランスの再構築を行なっているところですが、めまぐるしく変わる状況にたくましく対応してくれているメンバーを見ていると、人の可能性というのはいつも想像を超えてくるなぁと感じています。

システムはまさに今セカンドフェーズに向けた準備に追われています。
本格的に継続的インテグレーションの体制を敷くべき時がきた、といった風情です。
これ以上書くとFlipdeskの宣伝になっちゃいそうなんで、この辺で。笑

今後もFlipdeskを応援してください。

今回は僕の人生の切り取り方を工夫して、
テーマに合わせました

人生ってやつは多様性に富んでいて、ひと一人分の人生でさえ切り取り方によって、様々な物語を語ることができます。
今回の仮テーマになるべくそう部分を切り出して書いてますので、だいぶ話が飛んだりして非常に長く面倒な文章だったと思いますが、クリスマスの暇つぶしくらいにはなってくれてれば嬉しい限りです。

そして、何を当たり前のことを書いているのだと感じてくれたならば、是非ともに仕事をしましょう。笑