プロダクトドライブは、『事業を通じて自分たちは何をやっているのか』を時間消費目的の本質として捉え、そこから抽出できる課題(と呼ばずに、本当は未来への道筋と呼びたい)を経済活動に結びつける試みに他ならない。
言うなれば、視点配置テクニックのひとつでしかない。
言い換えれば、近年叫ばれるエンジニアリング主導の課題解決の価値(本質を捉える役目からの改善手法の価値、みたいにも言い換えられるのかも)もその一つだけど、長い目で見るとただの流行でしかなくて、そこにある商いのポテンシャルはそんなに長くは続くまい、と考えている。
価値は基本的に流行りものなので、次に交代する新しいものが来たら、現在のメインストリームは終りを告げる
資本主導の経済活動は、その上で踊る人間の欲求は、そんなに単純なものじゃない、というのは様々な価値の切り口が出ては消えるのを繰り返してきたことからもうかがえる。
例えばトヨタ式の改善活動フレームワークは世界的にもそういった本質という麻薬概念の価値を助長するのに十分な説得力を持っているが、もう少し時間軸を長く捉えると概念遊びの一環でしかないことに容易に気付く。
当然、社会のそういうモードが終りを告げることも、そんなに遠い未来のことじゃない。
エンジニアはそういうボーナスステージに生きているという自覚を強く持つべきだし、そこにボーナス感を見出さず、世間が評価する自分達の価値だけを妄信的に信じて、それに従事する各個人が大きな進化をやめてしまった職種の顛末は、例に事欠かない程度には溢れかえっている。
例えば、コンビニスタッフ、パイロット、CAに代表されるように。
エンジニアリングの本当の可能性はこれからだし、今後もある程度の期間はエンジニアリングが生み出す成果に社会は大きく左右される。
そんな社会の期待を一身に受けているエンジニアリングだから、今のエンジニアリングを最大限謳歌すべきだし、無責任に社会がその価値に対しての期待をやめてしまったときに、自分達になにが残るのか?もしくはそんな未来は訪れずに、まだ未踏の「普遍的な価値」を生み出すという役目をエンジニアリングは担うことができるのか?
全てはこれからのエンジニアリングの成果にかかってる。
そして、エンジニアの行いにかかってる。どれだけ真摯にエンジニアリングに取り組めるかどうか。自分も含めて。